ITの仕事をしているのに

わたくしが小学生だったころ、5~6年生の担任してくださった三浦先生がお亡くなりになりました。告別式は何とか間に合いましたが、情報の拡散ができませんでした。ITの仕事をしているというのに、心残りです・・・。

本当に、明るい先生でした。先生がいるとみんなが笑顔でした。7歳も年が離れたわたしの弟は、小学校にきて三浦先生が一目で気に入ってしまい、しがみついて離れないこともありました。先生のところには自然に子供が集まっていました。

思っていることを言えばいいんだよ、

 ありがとう、って素直に言えばいいんだ 

よ、そういう人間の心を教えて導いてくれた先生でした。社会科では、みんな同じ間違いをしているぞ、とわたしたちの常識力を作り直してくださいました。

小学生のころ、わたしたちが使う言葉にナマリがあることなんて、全然考えてみなかったけど、先生は、みんなと話していて、わからなかった単語が1つだけあるよ、と卒業するときに教えてくれました。自分たちの生活してきた世界の狭さと、地域社会みたいなテーマをあらためて真剣に考えてカルチャーショックを受けました。

子ども時代の一番大切な時期の生徒に向き合い、のびのびと育ててくれる先生でした。みんな困ったときは先生を呼ぶ、正義の味方、扱いの先生でした。だから6年生ばっかり担当されていたのでしょうか。

一人ひとり、〇〇は、こういうことが得意だな、とか、〇〇は、こういうことは日本一かもしれなぞ、とか、本当にいいところ探しがうまい先生でした。

転入したり転校してきたりして、増えたり減ったり、田舎の学校で49人から52人の生徒を一人で担当していました。きっと、お忙しかったでしょうね・・・それでも時間をとって毎日、全員と交換ノートに返事を書いてくれました。もうプライベートもないくらい、何でも答えてくれました。

27年も前の生徒なのに名前もみんな覚えている、人と向き合う天才だと思っています。小学校教員一筋、忙しくても、突き指しても、風邪をひいて声がでにくくても、毎日、たくさんの生徒さんを育ててこられたのですね。

「先生、声が出にくいから〇〇くん〇ページから読んでもらえるかな?」そんな風に自然にお願いできる。

字がとてもキレイ!マネしてみんなで丁寧にきれいな字を書かなくっちゃと練習したり。先生が各小学校のアルバムを大切に保管されていたので見せてもらいましたが、小学生のころの方がわたしは字がうまい・・・ショックをうけました。

先生が定年になったら、みんなで集まろうと思っていました、たしか6年生だったとき約束したんだと思います。中学校でもわたしたちの先生でいてほしい、そんなわがままばっかりみんなで言って卒業するとき泣いていました。

先生が担任だったころの年齢、31歳。わたしはもうとっくに過ぎてしまいました。本当に、自分はまだまだだなぁ、と思います。もっと一つのことに打ち込んで、生きなければいけない、もっと時間をかけて丁寧に生活しなければいけないと改めて思いました。

シフトN 中村k

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